【はじめに】
この「三河の方言」は、牛川通り5丁目「おもちゃ店 クーゲル」の御主人佐野洋司さんが執筆中の「三河弁の里に迷い込んだ男」より、その一話を載せました。
佐野さんはこの地(神ケ谷)で生まれ育ち、18才からは東京で暮らし就職もしたそうです。その中で、三河弁を喋って気が引けた事があり、「多くの人に三河弁を知ってもらえれば、そのような事が無くなる」との思いからこの本を書き始めたとの事です。しかしまだ本は完成していません。
物語の形をとり、登場人物に存分に三河弁をしゃべらせているとの事で、一読をお勧めします。
【タイトル:散歩】
[P1]
一郎 「新兄ちゃん、雨んやんでいー天気ーなったで散歩い行かまい」
新一 「散歩か、いいねえ」
一郎 「昼まじゃーまんだあ`いが有るで、土手ん方までひと回(まー)り出来るら」
二郎 「俺も行く」
風子 「私も。花子姉ちゃんも行かまい」
花子 「月子も行きたがっとるみたいだやあ、おんばあに乗せたげるか、みんなおもてー出りん」
風子 「急に出たもんだいお日様んひずるしいやあ」
二郎 「あれ、新兄ちゃんがおらんじゃん」
一郎 「ほーい、新兄ちゃんまだかん」
新一 「ごめん、すぐ行く」
家の中から新一の声。
一郎 「あ、そうだ、鍵(かぎょ)ー`かってきとくれん」
新一 「いきなりそう言われても。鍵なんてどこに売っているんだか知らないし」
一郎 「誰も買ってきてなんて言っとらんじゃん」
花子 「一郎、鍵(かぎょ)ー掛けてきてって言わにゃー新一さんにゃー通じんに」
新一 「そういう事か、で鍵は何処にあるの」
一郎 「とまぐちんとこいぶらくったるら」
新一 「お待たせ、さ行こか。ここでは鍵を`かうって言うんだ、僕達は鍵を掛け るなんだけど」
一郎 「あ`ほう」
新一 「あほうとは何だよ、鍵を掛けるのが何であほうだよ」
【解説】
・天気ーなった=天気になった
・行かまい:行こう
・昼まじゃー=昼までは
・あ`い:時間の余裕
・おんばあ:乳母車
・出たもんだい:出たので
・ひずるしい:眩しい
・鍵(かぎょ)ー`かう=鍵を`かう:鍵を掛ける
・とまぐちんとこい=とまぐちのとこに:玄関の所に
・ぶらくったるら=ぶらくってあるら:ぶら下げてあるだろう
・あ`ほう:あそう サ行のs音がh音に転ずる傾向が有る。
[P2]
花子 「いやったいやあ、ここじゃー相槌(あいづちょ)ー打つ時、あそうをあほうっちゅーだに」
新一 「あほう」
花子 「そう、その調子」
風子 「月子、たっちしとるとあむないで、ちゃんちだに」
新一 「そう言えば学校はどこに有るんだい?」
花子 「あの山ん麓んとこ。そうそう、新一さんよかったらそこー手伝ってくれんかやあ、人ん足らんだに」
新一 「こっちからもお願いしたい所だよ、すぐには元の所へ戻れそうじゃないし」
新一 「あ、しまった、帽子を忘れた」
一郎 「はや持ちー行っといでん、待っとったげるで」
新一 「持ちに行く?」
花子 「これも新一さんにゃー通じなんだかん。取りに行くっちゅー意味だに」
新一 「面白い言い方をするんだな」
一郎 「さっきの鍵をかうにしても、どこでも使っとる言い方じゃないだのん」二郎 「風子、遅いぞ、あよんどらんでとんで来い」走りかけて風子が転んだ。一郎 「風子、どうしただ」
風子 「転んだいきー膝こんぼうをぶった、二郎兄ちゃんがとべなんちゅーもんだい。痛いよ ー、おんでー」
二郎 「あよべんならけんけんして来い」
風子 「薄情もん、化けて出てやるー」
一郎 「しょんない、兄ちゃんがおんでやらー」
風子 「ほいじゃーてんぐるまんいー」
【解説】
・たっち:「立つ」の幼児語
・あむない:危ない
・ちゃんち:「座る」の幼児語
・そこー=そこを
・手伝ってくれんかやあ:手伝ってくれませんかねえ
・人ん足らんだ:人が足らないんですよ
・持ちー行く=持ちに行く: 取りに行く
・げる=待っておってあげる:待っていてあげる
・あよんどらんで=あよんでおらんで: 歩いていないで
・とんで来い:走って来い
・転んだいきー=転んだいきに:転んだ際に
・膝こんぼう:膝
・ぶつ:ぶつける、ぶつけて怪我をする
・とべなんちゅーもんだい:走れなんて言うから
・おんで:おぶって(ください)
・けんけん:片足飛び
・やらー:やろう(意思)
・てんぐるまん=てんぐるまが:肩車が
[P3]
風子 「わーい、二郎兄ちゃん、けなるいだら」
二郎 「あー、風子どいーじゃん」
一郎 「高い高い、そーれどーだ」
風子 「おそがいよー、そんねーゆすぶらんで」
風子 「あっ、あっちークローバーの花だ。一郎兄ちゃん降ろいて、花冠(はなかんむりょ)ーこしゃうで」
風子は一目散にクローバーの花が咲いている方へ走り出す。
一郎 「風子、そんねーとんで膝こんぼうはいーだか」
風子 「はい治った」
二郎 「風子め、猿芝居しやーがったな」
一郎 「新兄ちゃんあそこい雉んおるに」
新一 「えっ、どこどこ」
二郎 「あっこ、草むらんとこ」
新一 「あ、今鳴いたね、ケンケンって、もっと近づいてみようか」
一郎 「感づかれんよーにしんよ、そーっとだに」それでも雉は気配を感じて飛び出した。
新一 「おーっ、きれいな羽根だねえ、それにしても姿と鳴き声のイメージがどうも合わないなあ」
一郎 「さっきからうぐいすん鳴きせーるに」
風子が花かんむりを頭に乗せて戻って来た。
花子 「上手にこしゃえたじゃん、飾りーつんばなー差いてみりん」
風子 「一郎兄ちゃん、これなんだん。土(つちょ)ーほじくっとったら出て来たに」
一郎 「ごっとうだ、かぶとんこんぼう」
風子 「ふーん、おんつうかめんつうかどっちかやあ」
【解説】
・けなるい:羨ましい
・どいー:非常に良い
・ゆすぶる:揺する
・感づかれんようにしんよ:気づかれないようにしなさいよ
・鳴きせーる:しきりに鳴く
・飾りー=飾りに
・つんばな: チガヤの穂
・ほじくる:掘る
・ごっとう:カブト虫の幼虫
・かぶと:カブト虫
・こんぼう: 動物の子ども 植物にも使う。
・おんつう:牡
・めんつう:牝
[P4]
一郎 「そんななー分からん」
二郎 「あ、つっついたらいのいた」
花子 「あんましかまっちゃーだめだに、今のじぶんは土ーいかっとるもんだで。はやいけてやりん」
二郎 「夏いなったら立派なかぶといなって出て来いよ」
風子 「そいでも不思議だやあ。犬や猫んこんぼうはちゃんと犬とか猫ん形(かたちょ)ーしとるに、ごっとうは全然かぶとじゃないじゃん」
一郎 「そこら辺のとかー後で新兄ちゃんにおそえてもらえ」
風子 「`はさみやしゃごしゃごんこんぼうも見たいやあ」
二郎 「橋までとびっこーしまい」と二郎が提案。
二郎 「みんな一列い並んだかん。ほいじゃー、ヨーイドン」
全員橋に向って走り出す。
二郎 「やったー、俺ん一等で花子姉ちゃんがべっとうだ」
花子 「おんばあ押しながら速くとべるわきゃーないじゃん、あーこんきい」
一郎 「新兄ちゃんもえらそうだのん」
新一 「別に偉そうになんかしてないけどな」
二郎 「はーはー言ってえらいえらそうじゃん」
新一 「だから偉くないって」
花子 「なんか話ん嚙み合っとらんやあ」
二郎 「おんばこで草相撲をやらまい」
風子 「二郎兄ちゃんなんか負かいてやる」
二郎 「しゃらくさい、今度も俺ん優勝だ」
皆ひとしきり草相撲に興じる
二郎 「この竹の子、こんねー大きい石をむくいて出て来とる」
【解説】
・いのいた:動いた
・かまう:いじめる、ちょっかいを出す
・今のじぶん:今の時期
・土ー=土へ、土に
・いかる:埋まる
・いける:埋める
・おそえてもらえ:教えてもらえ
・`はさみ:クワガタ虫
・しゃごしゃご:クマゼミ
・とびっこー=とびっこを: かけっこを
・べっとう:びり
・えらいえらそう:形容詞を重ねる言い方をする。
・おんばこ:おおばこ(草の名)
・むくいて=むくして:下から持ち上げて
[P5]
一郎 「竹の子(たけのか)ーつおいぞ、どんなもんでもむくいて出て来るで」
風子 「ありんこん行列を作っとるに、どこい行くだかやあ」
二郎 「こっちじゃーめめずんのたくっとる」
一郎 「ばかーばかだ、なんでわざわざじべたい出て来るだかやあ」
二郎 「ほーい、来てみりん。こっちー土筆んべたらこ出とるに」
花子 「摘んでって晩のおさいーせまい」
風子 「ほいでも犬んしょんべんまっとったらどいやだら」
二郎 「女のくせにしょんべんなんちゅーな、おこようだら。まっと女らしくせれ」
風子 「女のくせにとか女らしくとか二郎兄ちゃんはどいだけ古い人間だん」
二郎 「ほいじゃーイケメンの前でもしょんべんっちゅーだな」
風子 「イケメンなんてどっこにもおらんよーっだ」
花子 「それにしても二人とも子どもんくせにべんこうったい事ーゆーもんで笑えて来るやあ」
二郎 「あ、花子姉ちゃんも今くせにちゅった」
夜になり、新一にとって激動の一日が終ろうとしていた。
鳥枝 「新ちゃん、そろそろお風呂い入りんね」
新一 「はい、有難うございます」
鳥枝 「そうそう、五右衛門風呂だで底蓋ー使いんよ。そいつぉー先ー入れて、その上ー乗るだに、そーせんとさいが足(あしょ)ーやけどせるに」
新一 「そうなんですか、そのまま入るつもりでした、危ない危ない」
鳥枝 「布団は納戸い敷いといたで、一郎、二郎と一緒い寝とくれましょう」
新一 「お世話掛けます」
【解説】
・つおい: 強い
・ありんこん=ありんこが:蟻が
・どこへ行くだかやあ:どこへ行くのかなあ
・めめず:みみず
・のたくる:這いまわる
・ばかーばかだ: 馬鹿を重ねる言い方をする。
・じべた:地面
・こっちー=こっちに
・べたらこ:沢山
・おさいー=おさいに
・しょんべん:小便
・まる: 排便をする
・どいやだら: 非常にいやでしょう
・なんちゅーな=なんて言うな
・おこよう:小用、小便
・せれ:しろ
・べんこうったい 大人びた、こましゃくれた
・そーせんとさいが:そうしないと
・納戸いひいといたで=納戸にしいておいたで 納戸に敷いておいたから
・寝とくれましょう=寝ておくれましょう :寝てくださいませ